2015年6月15日月曜日

那覇手?首里手?

   まず、空手が何処から来たのかについては、諸説あるようですが、実際のところよくわかりません。沖縄がまだ琉球王国であったころ、諸外国(薩摩藩等含む)から自国を守るためにできたものであるとか、琉球の農民達が、役人に対抗するのに、銃や刀は持てないので、身近にある鍬や棒、また徒手空拳で闘う手(テイ)として発達したものであるとか、中国の拳法が沖縄に伝えられたものであるとか、韓国のテコンドーがルーツだとか!?(さすがにそれはないなと思いますが…)色々な要素が組み合わさって空手というものができてきたのだと思います。
    ちなみに、手(テイと読みます)は空手が戦後本土に紹介される前、そのように沖縄で呼ばれていました。また、空手というと、徒手空拳で闘うもので武器等は一切使わないと誤解されますが、実際は使います。有名なところではヌンチャクとか、トンファー、サイ、手裏剣、etc…。要は役人にしろ農民にしろ、とにかく自分をなんとか守らなけばならないので、武器を使わないとか、己の肉体のみで闘うとか、そんな悠長なことは言っていられません。だからその場にあるものはなんでも使います。鍬や草刈り鎌も使ったことでしょう。鎌は空手では割とメジャーな武器でもあります。今現在、空手に武器技がないのは、ただ単に教えられる人がいないからだと思われます。
    さて、少し脱線しましたが、那覇手と首里手というのは、ご存知の通り、沖縄の地名に由来しています。空手はそれこそ何百もの流派があるのは前述の通りですが、その中でも大きく分けると大体の流派はそのどちらかに属することになるのです。(泊手というのもあるにはあるのですが、それは機会があればいずれ)
    まずは、首里手ですが、簡単に言うと、お城の衛士の拳法が由来です。ですから、姿勢もスッキリしていますし、型も華麗なものが多いように感じます。前屈立ちや元立ち、猫足立ちを多用し、スピードと軽快さを重視しています。
    そして、那覇手ですが、これも誤解を恐れずに言うと、農民や漁師の拳法です。ですから、何処となく無骨な印象で型も重厚なものが多いです。また、農民や漁師はもともと、戦士ではないので、手っ取り早く強くならないといけませんので、身体を鍛えます。中国でも戦士を手っ取り早く作る必要のあった南拳などは、外功と言って身体を鍛えることを重視しています。後述しますが、剛柔流などは、流祖が中国でも修行しているので、南拳の流れを汲んでいるのかな、なんて思います。
    そのようなわけで、同じ沖縄でも大きく2つの流れがあり、そこから数々の流派に分派するわけです。沖縄に残っている流派もありますが、ほとんどの流派は本土に渡り、発展してゆきます。そのうち大きな母体を持つ流派を4大流派等と呼びます。
    4大流派は、通常、松濤館、糸東流、剛柔流、和道流の4つを指しますが、これらの流派も分派しているので、例えば、⚪︎⚪︎流と⚪︎⚪︎会等に分かれている場合が多いです。とはいえ、本州では、極真カラテ等いわゆるフルコンカラテを除けば、ほとんどの道場は4大流派のいづれかに属している場合が多いです。(全てではありません)
   では、この4大流派について、説明していきましょう。

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