2015年6月28日日曜日

松濤館

 私は、松濤館の空手は習ったことがないので、あまり詳しいことは分かりません。あくまで、私の知っている範囲で、外から見た松濤館として紹介したいと思います。
松濤館は、船越義珍という先生が、沖縄から本土に空手を持ち帰った作られた流派です。日本で唯一の社団法人の日本空手協会を設立したことから、協会空手とも呼ばれています。母体も大きく、異論もありましょうが、日本で一番大きい流派と言えるのではないでしょうか。最も、私も最近まで松濤館は一枚岩だと思っていたのですが、現在は大きく協会と国際松濤館と分かれてしまっているようです。松濤会という全空連から離れた流派もあります。
ここで、なんで松濤流じゃなくて松濤館というのだろうか?と思いませんか?私も幼い頃そう思っていたんですが、この船越先生は、自分で流派を名乗っていないそうなんです。松濤は自分の雅号で松濤館は道場の名前。だから松濤館流とは言わないんです。空手に詳しくない人に便宜的に松濤館流ということは、あるかもしれませんが。
松濤館の特徴としては、まず型から言いますと、名前を日本名にしているのが一点。どういうことかと言いますと、例えば、平安と書いて「へいあん」当たり前と思いますか?松濤館以外の空手をする人はこれを「ピンアン」と読むはずです。他にも、「クーシャンクー」が「観空」だったり、「チントウ」が「岩鶴」、「ニーセーシー」が「二十四歩」等、すべて日本読語読みに変換されており、逆に松涛館以外の空手家には分かりにくかったりします。でも、型自体は、ダイナミックで、伸び伸びとしたカッコいい型が多いです。
   組手に関しては、基本的には全空連に所属しているので、ルール等は変わりませんが、松涛館には、いわゆる「一本ルール」があり、流派の試合ではそちらが採用されているようです。地稽古かなり厳しいとの話は聞きますが、私はやったことがないのでよく解りません。組手の特徴として、遠間から直線的に打ち込んでいくのが松涛館らしい特徴だと言われています。
   何度も書きますが、私は松涛館の経験はありませんので、あくまでも外から見た松涛館ということでご理解下さい。

2015年6月15日月曜日

はじめに

私は、縁あって、小学校1年生から空手を始めました。
以来約30年、細く長く続けています。これからも細く長く付き合って行くことでしょう。
ところで、この30年、ずっと同じ場所で稽古してきたわけではありません。家庭の都合で引っ越したり、自分も単身赴任したりと色々な理由で、たくさんの道場を見てきました。
空手の場合、柔道や剣道のように全国どこでも同じことができるわけではありません。柔道や剣道は、それぞれ講道館や全日本剣道連盟で統一されているため、それこそ、沖縄にいようが北海道にいようが海外でも同じことができます。しかし、空手の場合は隣町の道場でも同じことはしていません。
どうしてそのような現象が起こるかと言いますと、流派が違うということが1番の大きな理由となります。
というわけで、幼い頃は気にも止めませんでしたが、図らずも、引越しなどでたくさんの道場を見てきたということは、たくさんの流派を経験してきたことになります。
資料や文献をかき集めれば、専門的な違いを説明できるのでしょうが、ここでは、私の経験上から独断と偏見でザックリと説明していきたいと思います。
あくまで私個人の戯言なので、もしかすれば私の思い違いや知識不足で若干事実と異なることがあるかもしれませんが、そこは、寛大な心で笑い飛ばしていただければ幸いです。

那覇手?首里手?

   まず、空手が何処から来たのかについては、諸説あるようですが、実際のところよくわかりません。沖縄がまだ琉球王国であったころ、諸外国(薩摩藩等含む)から自国を守るためにできたものであるとか、琉球の農民達が、役人に対抗するのに、銃や刀は持てないので、身近にある鍬や棒、また徒手空拳で闘う手(テイ)として発達したものであるとか、中国の拳法が沖縄に伝えられたものであるとか、韓国のテコンドーがルーツだとか!?(さすがにそれはないなと思いますが…)色々な要素が組み合わさって空手というものができてきたのだと思います。
    ちなみに、手(テイと読みます)は空手が戦後本土に紹介される前、そのように沖縄で呼ばれていました。また、空手というと、徒手空拳で闘うもので武器等は一切使わないと誤解されますが、実際は使います。有名なところではヌンチャクとか、トンファー、サイ、手裏剣、etc…。要は役人にしろ農民にしろ、とにかく自分をなんとか守らなけばならないので、武器を使わないとか、己の肉体のみで闘うとか、そんな悠長なことは言っていられません。だからその場にあるものはなんでも使います。鍬や草刈り鎌も使ったことでしょう。鎌は空手では割とメジャーな武器でもあります。今現在、空手に武器技がないのは、ただ単に教えられる人がいないからだと思われます。
    さて、少し脱線しましたが、那覇手と首里手というのは、ご存知の通り、沖縄の地名に由来しています。空手はそれこそ何百もの流派があるのは前述の通りですが、その中でも大きく分けると大体の流派はそのどちらかに属することになるのです。(泊手というのもあるにはあるのですが、それは機会があればいずれ)
    まずは、首里手ですが、簡単に言うと、お城の衛士の拳法が由来です。ですから、姿勢もスッキリしていますし、型も華麗なものが多いように感じます。前屈立ちや元立ち、猫足立ちを多用し、スピードと軽快さを重視しています。
    そして、那覇手ですが、これも誤解を恐れずに言うと、農民や漁師の拳法です。ですから、何処となく無骨な印象で型も重厚なものが多いです。また、農民や漁師はもともと、戦士ではないので、手っ取り早く強くならないといけませんので、身体を鍛えます。中国でも戦士を手っ取り早く作る必要のあった南拳などは、外功と言って身体を鍛えることを重視しています。後述しますが、剛柔流などは、流祖が中国でも修行しているので、南拳の流れを汲んでいるのかな、なんて思います。
    そのようなわけで、同じ沖縄でも大きく2つの流れがあり、そこから数々の流派に分派するわけです。沖縄に残っている流派もありますが、ほとんどの流派は本土に渡り、発展してゆきます。そのうち大きな母体を持つ流派を4大流派等と呼びます。
    4大流派は、通常、松濤館、糸東流、剛柔流、和道流の4つを指しますが、これらの流派も分派しているので、例えば、⚪︎⚪︎流と⚪︎⚪︎会等に分かれている場合が多いです。とはいえ、本州では、極真カラテ等いわゆるフルコンカラテを除けば、ほとんどの道場は4大流派のいづれかに属している場合が多いです。(全てではありません)
   では、この4大流派について、説明していきましょう。